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    ryoko furukawa portfoliosite

  • Dancing in the sea

    同じ魂をもった二人は、双子ではないし血は繋がっていない。他人でもないし、ましてや恋人でもない。彼らは大時化の海の上や崖の端で踊るように、どんなに危険な場所でも相手しか見えていない。

    その対象は人間かもしれないし、食卓の皿や、花瓶にいけられた花かもしれない。二人がともに過ごす時間は生涯をかけてかもしれないし、その花が枯れるまでの一瞬かもしれない。どんな姿をしていても同じ個体だというのはすぐに分かる。

     

    著名なフランスのアイスダンサーはよく二人で滑っているのに、一人が滑って踊っているようだと評される。細胞分裂後の姿、とけてなくなる前のバターのよう。

    固体が消失しているのではなく、全く同じ個体が二つあると一つに認識される。

    双子ではなく血は繋がっていない、他人でもなければ恋人でもないものは同じ個体であるだけだ

  • 家に人は不在 / いる気配はある

    引越しをするたびに、自分の半身をその家に残していくような気がする。

    もう何度も引っ越し、今は自分の実体がほとんどない。

    学校や職場や通い慣れた場所にも半身を残して、それらはもう一度拾い集めることができる。けれど家に限っては二度と入れない。住んでいた家の前を通るたび、まだそこに住んでいる私がこちらの半身を狙ってくる。

    ほとんどなくなった実体を取り戻すための手記。

  • 顔のないゆうれい

    気がつくと家の中にはもう一人いました。

    10歳の頃、家のドアを開き放しで友達と遊びに出かけたその日から人が入り込んだのです。帰ってドアが開き放しなことに気が付き、友達と恐る恐る家の中を探し回りましたが勿論誰もいません。でも確かに2階の押入れにいるのです。

    3人家族にもう一人、あるときは同じ位の歳の少女、あるときは妙齢の男性。まるで足があって顔がないゆうれいのようにこちらを見遣ります。聴こえるはずのない足音や居るはずのない気配に、もし出くわしたとしたらこう逃げようと道筋を考えていました。その家から引っ越し何年か経った頃、その彼とも彼女とも言えない何かも消え思い出すこともなくなりました。

     

    顔のないゆうれいを思い出さなくなったある日。祖父が撮った写真を見つけました。そこには毎日家の中に居る気配を感じた何かがいるのです。私は確かに写真の中の人々と遊んだのです。もう見ることなできない何かを描かねばならない思いになりました。

    私の絵の多くには顔がありません。どこに居るのかもわからず、存在しない人々です。もう会うことの出来ない愛しく恐ろしい人々です。

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  • CV

    古川 諒子

    Furukawa Ryoko

    1994年 兵庫県生まれ

    2020年広島市立大学芸術学部 油絵専攻 卒業

    広島市立大学大学院 芸術学研究科博士前期課程 在学

     

    個展

    2020

    「しらない土地のしらない人々」広島芸術センター

    2019

    「顔のないゆうれい」 本と自由

     

    グループ展

    2020

    「贈ろう、アート」ギャラリーG

    「第23回広島市立大学卒業・修了展」広島市現代美術館 / 広島市立大学

    2019

    「すがたなき森」広島芸術センター

    「1km以内の人物画」 アトモスフィア(東京・西荻窪)

    「版画部展」 横川創苑

    「まなざし 広島市立大学油絵専攻プレ卒展」 合人社ウェンディひと・まちプラザ

    2018

    「野呂山油彩画展2018」野呂山芸術村

    「カランコエ展」 広島市立大学フレスコ室

     

    プロジェクト展

    2017

    「宮島双六観光マップ展」サテライトハウス宮島

    「サテライトハウス宮島 開設記念展」広島市立大学 宮島サテライトハウス

     

    2016

    「呉カルタ原画展」野呂山芸術村

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